看護師研究 必要

看護師の業務は多岐にわたり、多忙を極めます。

患者ケア、記録作成、家族対応などに追われる日々の中で、「看護研究」まで求められることに疑問を抱いたことはありませんか?

研究の意義が分からないまま、言われるがままに取り組む姿勢に疲れ切っている看護師も少なくありません。

果たして、この看護研究、本当に私たち現場の看護師に必要なのでしょうか?

 

今回は、そのモヤモヤに焦点を当て、現場のリアルを掘り下げてみます。

 

やらされ感たっぷりの看護研究に意義はあるのか?

 

看護研究と聞くと、「やらされる」というイメージが先行する人が多いのではないでしょうか。

現場の看護師が自発的に「こんなテーマで研究してみたい!」と意気込む姿はほとんど見られず、指導者や上司の指名で無理やりやらされるケースがほとんどです。

 

指導者からテーマを与えられ、その内容が自分の関心とかけ離れていることも少なくありません。

さらに、テーマを選んでもダメ出しばかりで、やればやるほど嫌気がさしてくる。

研究の目的は?誰のためにやるの?と自問するうちに、「やること自体が目的なのでは?」という皮肉な答えに辿り着く看護師もいます。

 

結果的に、意義の感じられない研究は、ただ「こなす」だけの作業になりがちです。

世の中を変える発見や患者ケアの進歩には繋がらない。

こうした状況で、「一体何のために?」と感じるのも無理はありません。

 

 

 

看護研究の成果、誰が評価しているのか?

 

看護研究を発表しても、それが現場のケアにどう活かされるのか、あるいは患者のためになっているのか、実感することはほとんどありません。

学会発表を義務付けられる病院もありますが、発表した研究が実際に採用されることは極めて少ないのが現実です。

 

例えば、先輩看護師が何かのテーマで研究を行い、その成果を発表したとしても、「じゃあ、それをうちの病棟でやりましょう」となることはほぼありません。

「現場にフィードバックされない研究に意味があるのか?」と疑問を抱くのも当然。

 

さらに、学会発表に参加する看護師たちは、主に「ポイント稼ぎ」や「形だけの実績作り」が目的であることが多い。

これでは、研究自体が目的から外れてしまっているのではないでしょうか。

 

 

 

現場看護師が研究をする必要はあるのか?

 

看護研究の意義を疑問視する声の中には、「そもそも現場で働く看護師が研究をする必要があるのか?」というものも多くあります。

 

忙しい業務の合間に時間を捻出し、残業や休日返上で取り組む看護研究。現場の看護師にそこまでの負担を強いる理由が本当にあるのでしょうか?

大学院生や研究職の看護師が主体的にデータを収集し、現場看護師はその協力者となる形の方が効率的ではないかという意見もあります。

 

実際、現場看護師が苦労して研究を仕上げても、その成果はほとんどの場合、一部の関係者しか目にしない。

ならば、研究を専門とする人々に任せ、現場の看護師は患者ケアに専念する方が、よほど現実的だと思いませんか?

 

 

 

「指導者の押し付け」でうんざりする現場

 

看護研究には指導者がつくことが一般的ですが、この指導者との関係がストレスの種になることも多いです。

「これじゃダメ」「もっと深く掘り下げて」など、ダメ出しばかりされて、精神的に消耗してしまうという話をよく耳にします。

 

特に、指導者の価値観や考え方が一方的に押し付けられる場面は非常に多く、「自分の研究なのに、自分の思い通りに進められない」という不満が溜まります。

また、指導者による指摘が建設的でない場合、研究のモチベーションがどんどん下がっていきます。

 

このような状況では、研究そのものの質が上がるはずもなく、ただ形式的に進めるだけの活動になってしまいます。

 

 

 

「無料奉仕感」が拭えない現実

 

看護研究を行う際、残業代や休日手当が支払われるケースはほとんどありません。

むしろ、「自分の空き時間を使ってやるもの」という認識が強く、無料奉仕感が付きまとうのが現実です。

さらに、発表当日も休日を使って参加し、代わりの休暇がもらえないこともあります。

 

多忙な業務の合間を縫って必死に取り組んでも、得られるものは「やった」という達成感だけ。

これでは、看護研究に積極的になれる看護師が増えるわけがありません。

 

もしこれが有給の活動であれば、もう少しモチベーションも上がるのではないでしょうか。

 

 

 

「夏休みの自由研究レベル」という批判も

 

看護研究に対する批判の中で、「小学生の夏休みの自由研究レベル」という声を聞いたことがあります。

確かに、現場看護師が限られた時間とリソースで行う研究には、大学や研究機関で行われる高度な研究ほどの質は求められません。

しかし、その結果が現場に還元されないのであれば、「何のためにやっているのか」と思うのも無理はありません。

 

一方で、こうした小規模な研究も、積み重ねによって大きな発見に繋がる可能性があるという意見もあります。

ただし、それは看護師個人が自発的に取り組む場合に限るでしょう。

 

やらされ感が強い中で生み出される研究に、大きな価値を見出すのは難しいのが現状です。

 

 

 

研究は「好きな人」がやるべきではないか?

 

看護研究が必要だと主張する人もいますが、現場看護師全員に強制する必要はないのではないでしょうか。

研究に興味があり、主体的に取り組みたいという看護師が進んでやるべきです。

現場での患者ケアを優先する看護師と、研究を専門的に行う看護師が分業する形の方が合理的ではないかと感じます。

 

また、研究が必要な場面では、専門職のサポートを受けながら取り組むことができる仕組みが求められます。

全員が同じように研究に取り組むことを求められる現状は、非効率であると同時に、看護師の離職率を高める要因にもなり得ます。

 

 

 

現場の看護師にとっての本当の課題とは?

 

看護研究に取り組む中で、現場の看護師が本当に感じている課題は何でしょうか。

多忙な業務、患者ケアの質の向上、スタッフ間の連携など、研究以外にも山積みの課題があります。

 

それらの課題に直面している中で、看護研究が「やらされる」形で追加されるのは、職員にとって大きな負担です。

 

研究活動の意義を見直し、現場の看護師が何を優先すべきかを明確にすることが、今後の看護業界の課題解決に繋がるのではないでしょうか。

 

 

 

まとめ

 

看護研究が必要か否かを問う前に、現場の看護師が本当に求めていることは何かを考えるべきです。

 

やらされ感で行う研究には、ほとんど意味がありません。

研究が必要ならば、それに興味を持つ人が主体的に取り組むべきです。

 

無給で時間を費やすことに疑問を抱くのは当然のこと。

看護研究が看護師にとっての「成長」の場となるためには、現場の声をもっと尊重する仕組みが必要です。

 

「本当にこれが私たちに必要なのか?」と問い続けることが、看護研究の未来を変える一歩になるのではないでしょうか。